《ドラゴンボール》最終回に失望の声…残念な事実が明らかに!
今も昔も変わらぬ人気、不朽の名作ドラゴンボール。
その後もアニメでは続編が作られているが、原作はコミックス42巻の中で完全に最終回を迎えた。
しかし、このドラゴンボールの「最終回」には作者・鳥山明の一言では表しきれない想いが詰まっていたのだ…
Sponsored Link
↓本日のネタはこちら↓
ドラゴンボール最大の敵・ブウとの決戦を終えた最終回!
ドラゴンボールの中でフリーザやセルよりも桁違いに強い存在として描かれた「魔人ブウ」。
善と悪に別れるという独特の展開も交えながら、ブウはピッコロやゴテンクス、悟飯をも取り込んでどんどんとパワーアップする。
実は当時ファンの間では、この魔人ブウ編が終わったらドラゴンボールが最終回になると噂されていた。
ところが全くそうは感じさせないパワフルな展開に「最終回の話は嘘ではないか?」との見方が強まっていったのだ。
それほどに、魔人ブウ編の展開はアツかった。その集大成とも言えるのが「元気玉」のシーンである。
過去に登場したキャラクター総出で悟空に力を与える。もう忘れ去られたと思っていた人造人間8号(ハッチャン)の出演に、当時のドラゴンボールファンがどれだけ感動したことか。
こうした粋な演出もある中で、とうとう倒された魔人ブウ。善のブウはしっかり生き残りハッピーエンドの中、やはり当初の噂通りドラゴンボールは最終回を迎えるのだが…
ドラゴンボールの最終回は「10年後」が舞台
ドラゴンボールの最終回は魔人ブウとの決戦直後に訪れたわけではない。ご存知の方も多いと思うが、最後にちょっとしたエピローグ的な話が加えられている。
これは魔人ブウとの最終決戦から10年後を描いた話。純粋ブウの生まれ変わりである「ウーブ」が登場するなど、ドラゴンボールの続投をほのめかす描写は確かにあった。
が、鳥山明はドラゴンボールの作中で「これが本当の最終回」という旨を読者に告げている。
ドラゴンボールのアニメはその後「GT」や「超」なども作られるが、原作はこの最終回を最後にスッパリと完了している。
これにて1984年から10年以上続いたドラゴンボールは終わり、ファンは寂しさを感じつつもスッキリした最終回を温かく受け入れた。
とはいえ今になって読み返すと、この「終わり方」にどこか疑問を覚えるのだ。
「なぜ最終回を10年後にする必要があったのか?」
「純粋ブウを倒して終わりで良かったのでは?」
こうした最終回に対しての疑問の数々…ただ、少し考えると理由がはっきりする。
そう、この最終回にはドラゴンボール作者・鳥山明の強い想いが込められていたのだ。
Sponsored Link
ドラゴンボールはもっと前に「最終回」を迎えるはずだった!?
鳥山明はドラゴンボールの最終回であえて「本当にこれでおしまい」と最終回であることを強調していたが…ここに「10年後」のヒントが存在するのだ。
実はこのドラゴンボール。本来は魔人ブウ編まで話を引っ張るつもりがなく、もっと以前に終わらせる予定だった。これは作中にも隠されていて、悟空が青年になってすぐの「魔王ピッコロ編」。
この最後のシーンは悟空がチチを筋斗雲に乗せて去っていく大ゴマで締められているのだが、端っこのほうに小さなコマで亀仙人が「もうちょっとだけ続くんじゃ」とつぶやいているのだ。
が、このセリフがつぶやかれた後のほうがドラゴンボールの話は長い。
そのためネット上では亀仙人のこのセリフがネタ扱いされているが、実際のところ鳥山明はドラゴンボールを本当に”もうちょっと”だけしか続ける気がなかったのではないか…?
「長くてもフリーザ編が終わる頃には最終回で締めようとしていた」
こうした推測が容易にできるのだ。
そしてこの推理が正しいとすれば、最終回をわざと10年後にした理由も頷けるのだ。ドラゴンボールの最終回ではあえて「この10年間は平和だった」という旨の説明がされている。
要するにわざわざ「マンガの題材にするようなエピソードはなかったよ!」と読者に訴えているのだ。もちろん敵がいなければバトル展開を描けるはずもない。
つまり、ドラゴンボールを決定的に終わらせるために「10年後」という設定が必要だった…最終回からそう読み解けるのである。
ではなぜ、鳥山明はそうまでしてドラゴンボールを終わらせようとしたのか…?いや、逆に考えてみよう。なぜドラゴンボールはここまでしないと最終回を迎えられなかったのか?
「フリーザ編」からドラゴンボールの人気が急上昇!
考えてみて欲しい。ドラゴンボールで一番の「象徴」は何だろう?
かめはめ波や元気玉。あるいはちょっとしたブームにもなった、マカンコウサッポウ。色々な技や人によってはシチュエーションも思いつくかもしれない。
だが、一番はやはり「スーパーサイヤ人」ではないだろうか?
しかしこのスーパーサイヤ人。初めてドラゴンボールの設定として使われたのは、あろうことかフリーザ編の最後のほう。
悟空がスーパーサイヤ人になって、フリーザを倒して最終回。恐らく鳥山明はこのように考えていただろう。
ところが、ドラゴンボールファンの見方は違った。スーパーサイヤ人という新設定に驚いたファンたち…
「この先、もっとアツい展開が待っているに違いない!」
つまり最終回に向けてクールダウンするどころか、当時のドラゴンボールファンはスーパーサイヤ人のおかげでむしろヒートアップし続けたのだ。
その人気は凄まじく、この頃からドラゴンボールはゲームソフトも含めた関連グッズがバカ売れ!アニメの視聴率も毎週20%を超えるモンスター番組となった。
当然こんな人気の最中、最終回になど出来るはずがない…出版社やグッズなどの関連会社は意地でもドラゴンボールを続けて欲しかった。
この頃からドラゴンボールは作者の意思とは裏腹に「続けざるを得ない」作品になってしまったのだ。そして作品を続行する以上、鳥山明もプロの漫画家。
彼はことあるごとにファンたちの期待に応え続けた。それは未来人トランクスの設定から、次々に増えるスーパーサイヤ人。あるいは人造人間との戦闘まで…皆さんご存知の通りである。
さらには悟空の死や完全体セルの出現という絶望感。そんなセル編の最後には、悟空と悟飯の「親子かめはめ波」という激アツな展開も挟まれた。
おかげでドラゴンボールファンたちの熱は更に上がった。そして、また遠のいていく「最終回」…
「ドラゴンボール」とは出版社の欲と読者の期待と、さらには作者の意地がぶつかり合って生まれた作品だったのだ!
しかしある日、頑張るほど最終回にならないと悟った鳥山明。これは超・売れっ子作者ならではの孤高の嘆きとも言えるが…
彼はとうとう「10年後」という、半ば強引な方法でドラゴンボールを最終回へと導いたのだ。
こう考えるとドラゴンボールの最終回に違った見え方がしてくるだろうし、何より作者に対しては本当に「お疲れ様でした!」という感謝の気持ちが生まれて来ないだろうか。
ドラゴンボールの作者が最終回で「10年後の未来」を描いたのにはこうした深いワケがあったのだ。
ただドラゴンボールの凄いところは、あれだけ大きな展開にも関わらず最終回で上手く話をまとめた点にある。
一説によると漫画やアニメは「始め方」より「終わらせ方」のほうが難しいというが。
あれだけ綺麗な最終回を持ってくるあたり、やはり鳥山明の力は偉大だと感じざるを得ない。