知るほど面白い!星のカービィの都市伝説・実話まとめ
任天堂のゲームとして有名な「星のカービィ」。シリーズでは累計2000万本以上売れている大ヒット作で、様々な都市伝説がある。
その中で何と言っても興味深いのが「当初は任天堂のゲームではなかった」というもの。実際これは岩田聡氏のHAL研究所の作品で、発案者は当時22歳の桜井正博氏だ。
当初は「HAL研究所」のブランドで発売される予定だったが、あのマリオの作者・宮本茂氏の鶴の一声で任天堂の開発・発売となった。この際に大幅な変更があるのだが、それは後程詳しく書いてみたい。
この記事ではカービィの都市伝説はもちろんのこと、他の都市伝説記事では明かされていない未知の部分にも突っ込んでお届けしたいと思う。ぜひ楽しんで頂きたい。
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カービィの名付け親は誰?
なぜ名付け親を特定したいかと言えば、「カービィ」の名前の由来が不明だからだ。「星のカービィ」はHAL研究所から任天堂に開発元が移ったわけだが、その際に変更されたのがまずキャラの名前だ。
最初は「ポポポ」という名前だった。これは最初の開発コンセプトが「誰でも出来る楽しめるゲーム」だったのが理由だと言われている。当時のゲームは難易度が高く、ゲーム好きの人間以外は楽しめないような傾向があった。
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その中でお子さんや初心者でも楽しんで進められるゲームとして、HAL研究所の社内コンペから出来たのが「星のカービィ」だ。だから名前もお子さん向きなのだ。
桜井氏いわく「キャラクターもうんと可愛い感じにした」と言うことなので、お子さんでも発音しやすく覚えやすい3文字にしたのだろう。
カービィのキャラでは「デデデ大王」や「星のカービィ ウルトラスーパーデラックス」の「ロロロ」「ラララ」に当時の名残がある。
さて、では一体誰が「ポポポ」を「カービィ」にしたのだろう?候補としてはまず桜井氏本人だが、舞台である「プププランド」は変更していないのでこれは無い。
次に当時HAL研究所の代表だった岩田氏だが、彼はプログラマーでネーミングセンスは無いことを自覚しているのでこれも無い。そうすると一番の候補はカービィを任天堂に引っ張った宮本氏だ。
ここで重要なポイントを…当時、「ゲーム開発者は本名を出さない」という暗黙の了解があったのだ。それにはいくつかの理由がある。この件が今回の都市伝説に大きく関係していると、都市伝説記者は考える。
まず、仮名を使うのは以下のような理由からだ。
1.英語で表記できるようニックネームを使うため
2.他社からの引き抜き防止のため
3.「ゲーム開発者」という職業が社会的に認知されていないので本名を隠すため
4.多くの会社と取引のある開発会社は、複数の会社に同じ名前が載るのを嫌うため
5.発注元の人間が、実は開発作業に加わっていないのを隠すため
この習慣はいまだに残っていて、メインの開発者であっても名前がエンドロールに載せられていないことがしばしばある。
カービィの名前由来を尋ねても、当時の関係者が口をそろえて「知らない」「覚えていない」という都市伝説になってしまうのは、多分この辺に理由があるのではないか。
つまり「カービィ」というのは当時の開発スタッフの「誰かのニックネーム」なのではないだろうか?そして、事情があってその人が開発に関わっていたことを隠したいのではないだろうか?
まさに都市伝説かもしれないが、こう考えるとつじつまが合うような気がする。ゲームキャラクターの名前にスタッフのニックネームを使うことは、当時ではよくある事だった。
またファミコン時代はゲーム会社も離合集散を繰り返していたので、裏に「何らかの事情」が潜んでいるという都市伝説を新たに提起したい。
昔のカービィは「真っ白」だった!?デザインにまつわる都市伝説
まずアメリカ版の「星のカービィ」のパッケージでは、カービィが白い。これはゲームボーイがモノクロだったので色がわからなかったからだ。
資料を見ればよいのではという話があるが、当時も今もゲーム会社というのは普通の会社と違ってそういう手順自体がうまく機能しないのだ。それはゲームがしばしば「パクられる」ので、なるべく色々なことを秘密にしておきたいからだ。
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だから開発途中のいろいろな資料は「社外秘」で持ち出すことができない。パッケージは発売前に印刷されるので、正確なものを作るのが難しいのだ。
当時のファミコン・ゲームのパッケージを見ると、海外版は日本版と全然違うデザインになっていることに驚くだろう。
これは海外版のデザインはゲーム本体をプレイして決めるのでそうなってしまうのだ。これには、英語が苦手で「英語版の設定資料集が作れない」という情けない理由もあるのだが…
さてカービィ本体のデザインはグラフィッカーではなく、桜井氏自身の手によるものだ。これは「デザイナーに依頼したら初期設定に自分が出した絵そのものがドットになって返ってきた」ことに怒って、自分で描くことにしたからだ。
この手の話はゲーム業界では頻繁にある。デザイナーは、絵は描けるがデザイン能力があるとは限らないという話だが、桜井氏は「絵描き歌にして誰でも描けるキャラ」にしたかったので簡単な丸にしたという。
色の件も桜井氏はピンクでイメージしていたが、宮本氏は黄色だと思っていたらしい。これは資料自体が存在していなかったことを意味している。
なんと開発中は、キャラ設定の資料は桜井氏の頭の中にだけあるという状態だったのだ。ちなみに「コピー能力」という設定は初期には無く、宮本氏が「星のカービィ 夢の泉の物語」の開発中に考え付いたという。
カービィの原作者、桜井氏の現在は?
人気ゲームとしてシリーズが20作を超えているカービィ・シリーズだが、生みの親である桜井氏は通算で言うと14作目、本来のシリーズとしては7作目を最後にして開発には関わっていない。
それは本来のカービィと違う形にゲームがなってきた事と、スマブラが忙しいからという都市伝説がある。現在は旧作のリメイクか違うシステムのゲームとなっており、本来の横スクロールアクションではない。
ある意味、横スクロールのカービィは桜井氏がいない今では作らないということでもあるのだろう。都市伝説のようだが、これは一種の敬意の表れだろう。
ちなみに「カービィシリーズ」「スマブラシリーズ」のメガヒット2本を出した桜井氏。任天堂の子会社で「パルテナの鏡」を開発した後「石灰沈着性腱板炎」という病気にかかって、現在は療養中の身である。
桜井氏の「復活」を望む声は世界中から聞こえている…
星のカービィと「マリオ」の深い関係が都市伝説に…
都市伝説記者はゲーム・プログラマーでもあるため、少し気になっている事がある。
それはカービィが当初、テレビゲームとして開発されていたのをゲームボーイ用に作り直されたので、ゲームシステムの大きな変更を迫られたのではないかという点だ。
どういう事かと言うと、テレビゲームは「4:3」の画面でプレイするために横スクロールアクションは横長のステージ設計をする。
そしてマップの構造(レベルデザインという)から敵の出現方法、得点の表示位置まで横長画面に合わせて作っていくのだが、ゲームボーイは横長ではないからだ。
ご存知のようにゲームボーイの画面は正方形で、例えば「ポケモン」のプレイ画面は正方形に合わせて作られているのだ。だから横長の画面を正方形にするとゲーム性が変わってしまうのだ。この辺りを桜井氏はどのように解決したのだろうか?
現在のスマホゲームでも、昔からのゲームのように作りたいなら横長にするためにスマホを持ち替える手間が発生する点が問題化しているのだ。簡単に遊ぶためには縦に持ったスマホを、片手で遊べるようにしなければならない。
が、この画面設計が大変難しいのだ。縦に持ったスマホの上半分がプレイ画面だと、ちょうど正方形のようになる。だから桜井氏の開発裏話が聞ければ参考になるだろうと思ってしまうのだ。
そこで「カービィ開発」の歴史を見てみると、面白いことに気付く。カービィのゲーム作品は正方形で3回(ゲームボーイとアドバンス)、横長で4回作られている。
そのうちの横長1作目「星のカービィ 夢の泉の物語」はコピー能力が初めて実装された作品だが、これは宮本氏のアイデアだという。宮本氏はマリオ・シリーズの開発者で、横長の横スクロールゲーム開発においての達人だ。
これは新しい都市伝説になってしまうが、ひょっとすると横長のカービィでは宮本氏が多くシステム開発を担当し、正方形のカービィでは桜井氏がメインでシステム開発を担当しているのではないか?
カービィは第一作から「マリオに似ている」という都市伝説があったのも、こう捉えると頷ける。今後、横スクロールのカービィはもう開発されないのかもしれない。
しかしキャラとしてのカービィはまだまだ多くのゲームで活躍していくだろう。