【保存版】「るろうに剣心」が10倍楽しめる名言まとめ

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るろうに剣心」には名言が多い。

というか、和月伸宏先生の作品には名言が多いのだ。

それは基本的に血が熱い男たち、戦う女たちがたくさん登場する漫画なので、るろうに剣心の登場人物たちのセリフも自然と名言になってしまうのだろう。

そこでこの記事では、気になる「るろうに剣心」の名言を集めてみた。皆さんの心に刺さるものはあるだろうか?

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るろうに剣心の名脇役、斎藤一(はじめ)の名言がカッコいい!この名言で闘志を燃やせ!

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<名言>

闘わなければ男は、負け犬にすらなれやしない

<解説>
原作には無い「るろうに剣心キネマ版」の下巻第8幕での名言の前後は、こうだ。

阿呆が。1つ教えてやろう、負け犬の負け犬による由縁は負けたからではない。闘って負けたから、戦わなかった者共に負け犬と呼ばれる。」

これは下院法師に対しての名言である。薩摩の「人間の序列」という教えにもある内容だ。

人間の序列は

1.何かに挑戦して成功した者

2.何かに挑戦して失敗した者

3.自分では挑戦しないが、他人の挑戦を手助けした者

4.何もしない者

5.何もしないで他人の批判をする者

とされている。

負け犬というのはこの中では2番にあたるのだ。つまり何かに挑戦して負けたとしても、それは恥ずかしいことではないのだ。

何もしなければ何も始まらないし、何も変わらない。恥ずかしいのは負けたことではなく、闘わなかったことなのだ。

 

背中で見せる男の世界!るろうに剣心のクールな剣客、斎藤の名言

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<名言>

おまえらとはくぐった修羅場の数が違うんだよ

<解説>
これは、るろうに剣心の第17巻、第146幕にある名言だ。志々雄と対決した剣心たちの奮戦で、志々雄は体に熱がたまり過ぎて人体発火現象を起こして燃えてしまう。

その結果、志々雄の参謀である「百識の法治」がアジトの動力源を破壊して戦いの舞台が崩れ落ちてしまった。

全員逃げ出そうとする中で、斎藤一だけが退路を断たれ取り残されてしまう。

彼の背中を見て左之助は、自分との勝負がついていないことに対し「勝ち逃げかよ!」と叫ぶ。それに返した斎藤の名言が、これだ。

通常、漫画では死亡フラグといえる場面だが斎藤は見事生還する。多分アジトの見取り図が頭に入っており、別の脱出路を思い付いたのだろう。

それにしても沈着冷静、まさにプロフェッショナルといった風情だ。ここで、斎藤一がくぐって来た「修羅場」を列挙してみたい。

まず江戸出奔の契機は19歳の時。口論になった旗本を斬ってしまったことで、これにより京都に逃げた。壬生浪士組の結成に合わせて加入し、副長助勤となる。

後に3番隊組長となり撃剣師範にもなった。その後、池田屋事件を初め、新選組の主要な斬り合いにはすべて参加。また武田観柳斎、谷三十郎ら多くの暗殺に関与した。

さらに油小路事件の主役であり、伊藤甲子太郎を暗殺し、御陵衛士をも斬っている。戊辰戦争ではどの戦でも最前線で戦い、転戦を重ねて北海道まで戦い続ける。

その後、会津に帰り平穏な生活をしていたが、上京して警視庁に奉職、警部補となる。そして西南戦争にも参加、新聞記事になるほどの奮戦を見せた。

斎藤一が「るろうに剣心」に登場するのは、この西南戦争が終わった翌年である明治12年のことだ。本当にくぐった修羅場の数が違っていた

その後、斎藤は警官として活躍し、退職後も剣客として生きることになる。そして何より印象的なのが、晩年になってのエピソードだ。

老人となった斎藤は、近所の道場の人間が稽古として空き缶を吊るして突いているところへ通りかかり、なんと一撃で竹刀を空き缶に突き通したのだ。

その際に「突きは引く動作が大事。実戦は初太刀では上手く行かず、私は3度目の突きで勝つことが多かった」と語ったらしい。

このエピソードから、作者が斎藤の得意技「牙突」を思い付いたことは容易に想像がつく。

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憎しみは憎しみしか生まない?この名言で断ち切ろう

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<名言>

死んだ者が望むのは敵討ちではなく 生きている者の幸福でござる

<解説>
るろうに剣心の第19巻、第71幕「再び京都へ」で剣心が放った名言だ。

家族を殺された復讐として、栄次が尖閣を殺そうとした時に剣心はこの名言で諭した。復讐心というのは人類の原初的感情で「やられたらやり返す」というのは大変わかりやすい図式だろう。

また仇討ちを美談とする文化もあって、日本では死刑廃止に至ってはいない。死刑のような刑罰を法律では「応報刑」(犯した罪と同等の罰を与える)という。

それに対して、目的刑(刑罰の主眼は犯罪の抑止にある)という考え方もあって、この立場からは自暴自棄になった犯罪者を死刑では抑止できないとされる。

これらに対して教育刑(罪を憎んで人を憎まず。教育すれば人間は犯罪をしない。)という考え方が死刑廃止論の根拠になっている。

ただ教育刑は、性善説に根ざした考えであると同時に、人は絶対に人を殺めてはならないという宗教色の強い論であり、キリスト教の世界以外では文化的になじまない。

結局は生き残った者がどう納得するかであって、死刑廃止が正しいとは誰にも言えないことだ。それを踏まえた上で「許すことの大切さ」を、るろうに剣心では説いている。

ただ「生き残った者がなにを幸福と感じるか?」というところを詰めていない甘さもある。しかし剣心は甘っちょろいことが好きなので、これで良いのだろう。

 

るろうに剣心らしく人間の暗い部分も名言に!

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<名言>

優しさで救える程…人間は甘くない

<解説>
これは、るろうに剣心の第48話「救世への再生・安慈の新たなる出発」に出てくる名言だ。これに共感する人は多いと思う。

作者は武術好きなので「力なき正義は無力なり」という、空手の大山倍達先生の言葉が名言の元だろう。

しかし、本土に空手を伝えた船越儀珍先生の高弟である小西康裕先生の「空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり」という考え方もある。

つまり、何事も争う前に止まるのが良いという意味だ。この名言の主である悠久山安慈は真面目な僧であったが、寺を焼き討ちされ、育てていた孤児たちも焼き殺されてしまう。

以来、破戒僧となり復讐の鬼と化してしまった。そして明治新政府自体を敵と見なすようになり、救世のために志々雄一派に入った。

その実力は宇水にも気付かれない静穏さ、左之助に二重の極みを複数打たれても問題ともしないタフさ、岩をも簡単に砕く破壊力など…るろうに剣心の登場キャラの中でも、恐らくトップクラスである。

モデルとなったのは、作者が好きなロックバンド「アンジー」のボーカルである水戸華之介だ。

ちなみにアンジーの解散ライブ、この最終曲のMCで水戸は「それぞれの人が、それぞれの場所で、精いっぱいの幸運に恵まれることを心から祈ってます」と語っている。

安慈も同様で、実は心優しいキャラクターなのだ。そして彼は復讐の愚かさに目覚め、警察に自首することになる。

これはオフレコになるが、るろうに剣心の「北海道編」で安慈は助っ人として活躍するはずだった。

しかしるろうに剣心の漫画が「人誅編」で作品が終わってしまったために、本人も救われることが無く、作者もその点が心残りだと明かしていた。

何にせよ、色々考えさせられることの多い名言だと言える。

 

明治維新は信念の戦いでもあった!君の心に響く名言

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<名言>

己の信念を貫けなかった男など 死んでも生きてても惨めなものだ

<解説>
これはるろうに剣心の単行本、11巻第114幕「突き立てる牙」から。十本刀最強クラスで強敵と目されていた盲目の剣士、魚沼宇水を倒した後に斎藤が放つ名言だ。

確かに宇水の実力は相当なものだが、既に志々雄に敗れて精神的に委縮してしまっていたのだ。その弱点を斎藤に指摘され、迷いが生じて実力を出すことが出来なかった彼。

志々雄を倒すために十本刀に入ったと言いながら、肝心な行動を起こせなかった。それは命を狙っている振りで、実際は恐れから志々雄に立ち向かう勇気が無かったわけだ。

ここでその信念の無さに対して、斎藤はこの名言を放ったのだ。斎藤自身は死ぬ間際の宇水に「どこまで悪・即・斬を貫けるか」と問われ「むろん死ぬまでだ」と即座に答えている。

さすが信念に生きる男だ。それに対して宇水は「一片の淀みなく、己の道を貫く。簡単なようで何と難しい事」と感嘆している。

確かに決して楽ではないが、信念を曲げずに生きることは非常に大事なことである。

 

時には1人の勇気が多数を動かす!少数派へ送る名言

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<名言>

危険を自ら引き受けるのは…「無謀」でなく「勇気」!そして勝機が見えても危険を恐れるのは「慎重」ではなく、只の「臆病」!

<解説>
るろうに剣心の第220幕「弥彦 真の闘い 其の弐」で、モブキャラである警官たちが放った名言だ。

捨て身の構えで鯨波の連発式グレネードランチャーに立ち向かう弥彦。善戦するものの、既に敗色は濃厚だった。

だがくじけない、彼は剣心に応援を求めることもなかった。そして急所を突いて鯨波を負傷させる。しかし子供をかばったために、弥彦も負傷してしまう。

捨て身の懐に飛び込む戦法を使って、グレネードランチャーがある右腕側を引き受ける弥彦。それを見た警官たちが奮い立ち、この名言を放つのだ。

結局迷いを振り切った剣心が駆けつけて鯨波を倒すのだが、るろうに剣心の中でもこの名言を引き出した弥彦の奮戦は特筆すべきだろう。

 

「実力主義=弱者を切り捨てて良い」ということではない。るろうに剣心、渾身の名言!

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<名言>

ただ強ければ生き 弱ければ死ぬという 「弱肉強食」の時代だけは 絶対に間違っているんだ

<解説>
るろうに剣心第61話「残された十本刀・生きてゆくための選択」での剣心の名言だ。

「俺たち勝ったんだよな?正しかったのは俺たちの方だよな?」と疑問をぶつける弥彦に対して、剣心は空を見上げてこの名言をつぶやく。

明治維新は弱肉強食の時代を作るためのものではなかったという想いがこもった名言である。

社会というのは立場や要求される技能によって、常に敗者と勝者に分かれる。中には、どのような場面でも勝者になれない絶対的弱者というような人たちもいるだろう。

しかしそれも、時代や文化、文明が変わればどうなるか分からない。人間は集合体として社会的に生きる動物で、いつでも選択肢を確保するために弱者も救済するというシステムの中で生きているのだ。

これこそ「るろうに剣心」らしく、弱者も救済されるという世界観を表した名言だ。

 

名言は使ってこその名言!

そして「名言」というのは、その真意を理解して日常の場面でも積極的に使ってこそ生きるものである。

ただしあまり名言ばかり吐いていると「ビックマウス」「一言居士」(どんな場面でも口を出すが、言うだけで行動しない人物)などと言われてしまうので要注意だ。

「るろうに剣心」は熱い名言でいっぱいのアニメで、まさに少年漫画らしい漫画である。

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