裏設定の数々が明らかに…サザエさんの都市伝説まとめ!

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ヒットした「磯野家の謎」は有名な本だが、サザエさんには多くの都市伝説がある。それはサザエさん自体が複雑な成立の仕方をしているからだ。

後程詳しく書くが、サザエさんは福岡の新聞漫画としてスタートした。それから作者の上京に伴って朝日新聞に連載の場を移した。

また連載期間は、太平洋戦争直後の1946年「夕刊フクニチ」から、1974年の「朝日新聞」の休載まで実に28年間に及ぶ。

その間キャラクターは年を取らない設定で、時事ネタを扱うたびに色々と設定変更を行ったので数々の都市伝説が生まれたようだ。

今回の記事では、そういった裏話を含むサザエさんの都市伝説を解説してみたい。

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サザエさん通りは世田谷だけではない

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福岡市早良区にも「サザエさん通り」はある。世田谷区のサザエさん通りは作者の長谷川町子氏が世田谷区桜新町(サザエさんの漫画の舞台)に住んでいたからだが、福岡市の方は「サザエさんの漫画発祥の地」だからだ。

サザエさんの第一作品は、福岡ローカルの西日本新聞社から独立したフクニチ新聞社の「夕刊フクニチ」に掲載された。その当時は「夕刊紙」というものが沢山あったのだ。

まだトランジスタラジオやテレビが存在しない時代には、新聞がニュースを得る手段だった。だから事件の速報性を考えると「朝刊紙」と「夕刊紙」の両方が必要だった。夕刊紙は街頭や駅売りで販売されたわけだ。

それを父親が買って帰り、家庭では子供たちが夕刊紙の漫画を楽しみにしていた。そういう時代にサザエさんは誕生した。

作者の転居に伴い「夕刊フクニチ」から東京の「新夕刊」(後の東京スポーツ)、そして「夕刊朝日新聞」(朝日新聞本誌の夕刊ではない)を経て1951年から「朝日新聞」に連載されるようになった。

作者が福岡の居住時代に連載を始めたので、都市伝説ではなく「サザエさん発祥の地」は福岡市百道であっているわけだ。ただこの引っ越しが、後々多くのサザエさんの都市伝説に繫がるとは誰も思ってはいなかった…

 

なぜサザエさんは福岡生まれなのか?

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元々作者は佐賀県の生まれであり、父親の仕事の都合で幼いころ福岡市春吉(繁華街の天神と中州に挟まれた地域)に転居した。女学校2年までを福岡で過ごし、父の死に伴って上京することになる。

その後、本人の強い希望で漫画家の田河水泡氏(「のらくろ」の作者)に弟子入りした。そして15歳で漫画家デビュー。

まるで都市伝説のようだが、当時は天才少女が現れたとして大ニュースになっている。その後は戦争の激化に伴い、1944年に縁のあった福岡市百道(海に近い地域で椎名林檎デビューの地として有名)に疎開し、西日本新聞社に勤務した。

それが縁で、夕刊フクニチでサザエさんの連載を開始することになったのだ。だから磯野家の主要人物は福岡生まれというわけだ。

さらにこちらも都市伝説のような実話だが、作者が百道浜付近を散歩中にキャラクターの原案を思い付き、海にちなんだ名前になったという。最初のサザエさんは作者の上京のために休載したが、この時はサザエさんの結婚を休載の理由にした。

最初のサザエさんは当時1946年に結婚しているのだ。

 

都市伝説ではサザエさんの苗字が「磯田」?

これは「磯野家の謎」でも指摘されているが、サザエさん一家が東京に引っ越して近所にあいさつするときに「磯田でございます」と言っていたらしい。後の本では修正されたので、今となっては確かめる手段がなく都市伝説になっている。

これは作者が忘れっぽい性格だったため、設定自体を忘れたからだと言われている。「夕刊フクニチ」の連載再開時にはなんと、マスオさんの顔も忘れていて書けなかったそうだ…

何しろサザエさんの結婚を理由に休載した件もあり、マスオさんを描いたことがほとんど無かったわけだ。そのため西日本新聞東京支局にマスオさんの顔の確認に出向いたという都市伝説まで残っている。

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ちなみに上京する際には、当時の東京は空襲による戸籍の消失や食糧事情の悪化で転入が厳しく制限されていたので、西日本新聞の記者という名目で特別に転入許可を取ったということである。これも都市伝説のような話だ。

 

「磯野家」は複数あるという都市伝説

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まず都市伝説ではなく、公表されている家系図が複数ある。これでは磯野家自体が複数あることになってしまう。

これは前述したように作者が忘れっぽかったこと。そして連載当初は、設定についてあまり深く考えていなかったことが原因だ。同時に作品数としては4コマ漫画だったこともあり、6477話もあるので、設定の混乱も致し方ないだろう。

また、桜新町の磯野家の家屋自体も分かっているだけで3軒存在する。さらに福岡時代の磯野家は2階建てなので、これを含めると4軒になるわけだが、これがまた混乱のタネとなって都市伝説を生んでいる。

東京の3軒は「洋間の有り無し」「お勝手口の扉の開き方」などに違いがあり、これも作者の忘れっぽさが原因らしい。

 

サザエさんの「エンディング曲」は2番から始まっている

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これも都市伝説ではなく本当の話だ。実は歌詞として1番には問題があったため、2番が使われている。

それは作詞家の先生がサザエさんの漫画を福岡時代のものから読み始めていて、当時の磯野家が2階建てだったことが原因だ。1番の歌詞は「2階の窓を開けたらね」という歌い出しになっている。

当然これを(平屋建ての)東京の磯野家で使うわけにはいかない。そのため2番がエンディング曲として採用されたのだ。

ちなみに、1番の歌い出しの前に「カツオ起きなさい!」というセリフが入っている。毎回お小言で始まる歌を聞くのもある意味ツラそうなので、むしろ2番からで良かったのかもしれない…

 

サザエさん「最終回の都市伝説」はなぜ生まれた?

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これは実際には存在しないので完全な都市伝説だが…いくつかある最終回の都市伝説に共通しているのは、サザエさん一家は海に帰り、海産物や船になってしまうというものだ。

夕刊フクニチの休載の時はサザエさんの結婚だし、朝日新聞も休載であって連載中止ではないので事実上の最終回は存在しない。

酷いものになると、カツオとワカメの非行、フネさんの不倫と波平の死。さらにはマスオさんの自殺やサザエさんの病気など…まるで不幸のパレードのような都市伝説を描いているサイトさえある。

どう考えてもあり得ないし、存在もしないのだが、何故こういった都市伝説が出てくるのだろうか?

サザエさんは時代とともに移り変わっているが、当時はまだ不適格な表現や不適切なものを描写していたからだ。それらは本になった時点で削除されたものも多いし、およそ6477話のうち6分の1くらいは、現在入手できない。

また発行元の姉妹社は長谷川町子氏の著作を出版するためだけの会社で、版権管理に厳しい。別名「日本のディズニー」と言われるくらい画像の使用も厳しいのだが…一方で、アニメはビデオとして発売されていないので個人が録画したもの以外は存在しない。

だから都市伝説の真相についても確認ができない。そのため、好き勝手なことを言う人が現れたのだろう。

「幸福な家族」の象徴とも言えるサザエさん一家。だが作者の長谷川町子氏は生涯独身だったし、東京には友人が少なく人前に出ることも嫌い。晩年は妹さんとも仲たがいして、葬儀の通知も送らなかった程だという。

国民的アニメと言っても過言ではないサザエさんだが、その裏側は都市伝説のように分かり難いものだったのだろう。ちなみに、日曜の夜は憂鬱になる人が多い。

皆さんご存知の「サザエさん症候群」…つまりそれだけ大勢が見ているアニメなのだ。

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