《千と千尋の神隠し》知られざる都市伝説の数々…
この記事では「千と千尋の神隠し」の裏設定というか、宮崎監督が公式のインタビューで答えていない部分も取り上げていきたいと思う。
資料には無いものの定説になっているものや、その世界観から推察される都市伝説まで多数紹介したい。
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元のタイトルは「千とちさとの神隠し」?
これは都市伝説では定説があり豆知識としても語られている。
その説明はいかにもありそうで、出典は明記されていないが公式から否定は無いので信じても良いだろう。その経緯は以下になる。
ジブリは海外進出を計画して作品を輸出したが、「もののけ姫」は惨敗と言っていいほどの興行成績だった。それで宮崎監督は落ち込んでしまい、抑うつ状態になってしまった。
その頃気分転換のために宮崎家とプロデューサーの家族、そして佐伯さんという方の三家族でキャンプに行ったそうだ。
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ここで、佐伯さんの娘「ちさと」ちゃんの赤いサンダルが川に落ちてしまったが、これが宮崎監督を救うきっかけになろうとは…
都市伝説では、このエピソードから物語が作られて「千とちさとの神隠し」と名付けたのだそう。
ちなみにこの佐伯さん、彼が「紅の豚」のポルコ・ロッソのモデルとも言われている。つまり、千尋の両親が豚なのはそこから来ているという都市伝説もある。
最終的に「千と千尋の神隠し」に変更したのは、夜の店に関わる映画になって「ちさと」ちゃんの名前を出すのを控えたからだそう。
「霜月祭り」と「千と千尋の神隠し」の知られざる関係
これは都市伝説ではなく事実だ。ジブリ公式説明だけではなく霜月(しもつき)祭りの公式サイトにも詳述されている。
霜月祭りとは信州遠山郷(長野県の最南端の秘境)で行われている宗教行事で、国の重要無形文化財だ。宮廷で行われていた「湯立て祭り」を原形のまま継承しているという。
詳細は「霜月祭り」の公式サイトで確認して欲しい。これをモチーフにしたということに関しては、宮崎監督がインタビューに以下のような趣旨で答えている。
「霜月祭りといって、日本中の神様をお風呂に入れて元気にする祭りがある。これが非常に面白かったので参考にした。研究者ではないが、すごく興味深くて面白い。」
千と千尋の神隠しは「もののけ姫」の続編だった!?
根拠としてまずハクの名前は「ニギハヤミ・コハクヌシ」だが、アシタカの名前が「アシタカヒコ」だとすると(村の人からそう呼ばれている)「足高彦=長脛彦」となるからだ。
長脛彦=アラハバキは「まつろわぬ民」で大和朝廷に追われて東北地方に移ったと言われている。そして「邇芸速日」(ニギハヤヒ)という神の子孫である古事記・日本書紀に記述されている。
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ここから、室町時代がモチーフと思われる「もののけ姫」のアシタカヒコ(長脛彦の子孫)はニギハヤヒ神の子孫であり、ニギハヤミ・コハクヌシの祖先であるとも言えるのだ。
これを、千尋がもののけ姫の「サン」の子孫である(背景担当のジブリの山本二三氏が語ったとされている)という話と合わせると、サンの子孫とアシタカの子孫が時代を超えて巡り合う輪廻の物語となるのだ。
都市伝説としても面白いが、何よりロマンがあって良いと思う。
千と千尋の神隠しと「となりのトトロ」にも共通点が…
どちらが続編かまでは分からないが、決して無関係とは言えない両作品。
どちらにも「ススワタリ」(まっくろくろすけ)が登場するし、トトロはもののけ姫に出てくる「コダマ」が成長したキャラだと公式に認められている。
そして、前述したようにもののけ姫と千と千尋の神隠しは関係があるので、となりのトトロとも関係があるということだ。
「カオナシ」のモデルが明らかに
これは鈴木敏夫プロデューサーが明かしたようだが、「借りぐらしのアリエッティ」を監督した米林宏昌氏をモデルにしているということらしい。
「カオナシ」は現代の若者の理解できない面を象徴するキャラクターとして描かれている。
「リン」の正体が話題に…
公式設定によれば、リンは「イタチかテンが化けたキャラクター」とのこと。
キャラクターのラフを見ると「リン(白狐)」となっているので、お稲荷様だということが分かる。
神様ではないだろうし「狐の霊」と言ったところか…都市伝説によると見た目よりも若くなんと「14歳」なのだ。
ハクは「八つ裂き」にされても死なない?
都市伝説では公開当時、ジブリは次のように説明したと伝えている。「すべてのことはルールに従う必要がある」「ハクは湯婆婆から八つ裂きにされる覚悟があった」とのことだ。
ただ、ハクは神であって体の本体は「川」。なので実体化した身が八つ裂きにされても、一時的な苦痛があるだけで再生出来ると考えられている。
千と千尋の神隠しには「別のラストシーン」が存在する?
これは都市伝説というよりもただの「記憶の混乱」と言える。
映画と違ってアニメは別バージョンを作ると費用がかさむ。よって、限定盤で販売促進する場合以外には予算的に厳しい。
また、宮崎監督のコンテにも記述がないので「別のラストシーン」は存在しないと考えるのが無難だ。
「見た」という声にも個人差があるので、これは記憶の混乱として純粋な都市伝説としておこう。
都市伝説には様々な理由が存在するが、「思い違い」もその一因ということだろう。